消費の意識から創造の意識へ。
そんなテーマが今年の春前後からずっと僕にはありました。
消費と創造ってどう違うんだろう?
という段階から自分の言動を見てきて、ようやくわかりかけてきたのが7月、行動に写せるようになってきたのが8月でした。
IRU Projectのサイトをオープンしたのが9月1日、この日は僕と麻由の世界が消費から創造へ移行するタイミングで、そういうことがどんどん起こりました。
消費と創造
消費と創造とは何か。色々な角度から説明できると思います。
例えば、
消費…経験から導き出す判断、習慣、計画通り進む安心感
創造…今から始める衝動、未知、わからなさがもたらす喜び
というような質感で説明できるように思います。
大きなことに限りません。
このブログを書いているまさに今の僕が消費しているのか創造しているのか。
それは出来上がった文章に、そして読んでくださった方の受けた印象に、現れていると思います。
創造は連鎖します。
何が?
感動や波が。
優れた芸術作品が人に涙を流させ生きる活力をもたらすのは、つまるところそれが創造だからです。
上手で綺麗な風景画は「上手だなぁ」ですが、色鉛筆を折りまくりながら全力で塗られた塗り絵に魂が震えることがあるのはそのためです。
絵画が塗り絵より上とか下とかではなく。
このブログを書いた後、クンルンネイゴンのプラクティスをして、朝食を食べて、身支度をしたらずっと見たかった作品に触れに美術館に行く予定です。
このプロセスを消費として行うこともできれば創造として行うこともできます。
「そういう予定だから」
「逆算すると7時半にはあれしなきゃ、8時半にはあれもやってなきゃ」
なのか、
「ちょっと梅干し入り梅シロップソーダ飲もうか(美味しい)」
「今日の朝食は一手間かけようかなぁ」
「美術館行く前に一枚小さな絵を描いてから行きたい!」
なのか。

創造が習慣よりも散らばっていてランダムで不安定な印象を持つのはまだ僕が創造のプロセスを信用していないからかもしれません。
創造が自らの光(欲求・喜び)に沿ったものなら、大きく見ればきっとよりスムーズで最速の流れになっているはずです(感覚的にそう思う)。
頭にはもう少し身体や宇宙のリズムを信じてみては? と伝えてあげつつ、クンルンネイゴンプラクティスに移ろうと思います。
今日も良い日に。