20200921/まとまらない人

坂口恭平「まとまらない人」を再読している。
(少し前に出た「自分の薬をつくる」もめちゃくちゃおもしろくて一瞬で読んでしまった!)

まとまらないことをずっと悩んできたなと思う。
というか、まとめられないというのは何かしらの能力の欠如なのでは!?とすら思っていた。
でも、気がついたら自分のことを示す名前すら何もなくなっていて、自分を何かに当てはめようとしても到底無理なんだというところまできてしまった。

考えてみれば、東京にきてからのこの1年は名前を探し回る旅だったような気がする。
そして、この街で、いや、ここに限らずわたしに見える範囲の世界では「文脈を持って流れに乗るには」名前が必要なんだと思う。
まぁそう思うにはあまりにこの世界のことを知らなすぎる気もするのだけれど、少なくとも私がみて感じた世界にはそうだった。名前以外に接点を持つことがものすごく困難だ。
だから、生きていくために名前を持とうとした。

生きていくって本当に難しいんだなとどれだけ感じただろうか。

でも、私はこれだけ探し回っても、名前を持とうとしても、そこからはどうしても遠のいていく一方なのだ。もう、違う世界で生きていくしかない。

このブログを書き始める時も、いったい自分がどんな方針で何を目的にどんなことを伝えようとするのか、何もまとまっていない。
そして、今までそのままの、まとまっていないままの文章は出せないと思ってきた。だからなかなか書き始めることができない。書き始めても、その「まとまらなさ」にやられてしまって途中棄権してしまう。


・・・そうだ、わたしもまとまらない人なんだ!

やっと、言えた。
そうですわたしがまとまらない人です。

いいじゃない。はー。これからはむしろまとまらないまま書いていく修行だ。何がでてくるのか自分でもわからない。それがおもしろい。どんなものが出てくるだろう。

坂口恭平は「書くということは、背骨を発見すること」「思考以外のことが体の中には渦巻いていると感じていて、それをどうにか外に出す方法がないか考えている」と言っている。
たぶん、私は思考しすぎてきた。今もなお。

大学にいた時に論文や計画書や申請書とかたくさん書いていたんだけど、正直私にとってはあれよりもきつい苦行ってなかなかないよなと思う。
あの作業自体がめちゃくちゃ苦手というのもあるけれど、自分の無能さを感じて自己否定でいっぱいになる。
そして、それらは学術の世界で生きていくにはおそらく一番といっていいほど重要なスキルなので、「もしやこれから先ずっとこの繰り返し!?」と思ってめちゃくちゃ絶望していた。

でも、今やっと「こっち側(もしくはあっち側)」の世界の扉を開けたのだと思う。

苦手なことを、苦手だと言えるってすごく大事なことなんだなぁと思う。
もちろん苦手だけど努力しなければならない場面もあるし、必要ならばがんばる。
でも、そのほとんどはたぶん自分で選んでる。
(私なんて、誰にも求められていないのに勝手に「こうでなければ!」と決めて苦しんでいた・・・!)

それよりも、本当に喜びがあること、感じることを表現していくことの方に進んでいきたい。
そうしていく先にあらわれるものが誰かもしくは社会との接点なんだと思う。

クンルンネイゴンのプラクティスをはじめてまだ2ヶ月もたっていないけれど、進むスピードも解像度もものすごく上がっているのを感じる。
この「ただ書く」という行為もプラクティスの一つとして大事にしていこう。
たぶんある意味ですごく厳しい修行になると思う。でも、楽しい旅になるはずだから。

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