値切ることと庶民感覚と坂口恭平さんについて。(正敏)

先日、近所の小道具屋さんで小さな器と小皿を買いました。

僕は「これセットだと少し安くなりますか?」と言い、店主のおじさんは安くしてくれました。

値切ったわけです。

値切るについて

僕は絵を描いています。

風景画や人の顔、挿絵やイラストを描いています。

特に顔の絵は「似顔絵」としてご依頼いただくことがほぼ全てなので、自動的に買っていただけることが多いです。

また、挿絵やイラストもご依頼いただいて描くことがほとんど全てなので、やはり買っていただくことが前提になっています。

そこには「お金」が介在します。

最近坂口恭平さんの「お金の学校」というブログ連載を読んでいますが、自分のお金へのこだわりや凝り固まりが見えてきて心地よいです。

途中まで読んで、

楽しいこと、気持ちいいことをやり続けられるなら死んでもいい

楽しいこと、気持ちいいことをやり続けられないくらいなら死ぬ

というのがあります。

どっちにしても死ぬんですが、いつか。

どっちにしても死ぬんだから、楽しいこと、気持ちいいことをやり続ける以外の選択肢がないということです。

彼の文章や語りや歌や絵は素晴らしく、とても魅力的です。

だからこそ、僕は彼に心酔することのないようにしています。

心酔は浸水。気持ちいい揺らぎに身を任せるのはいいけれど、身を任せて楽しみ深めていくのは「自分の鼓動や筋肉の伸縮、骨の軋み、脳の信号、自分にかかってくる重力などなど」とであって、坂口さんは一人の他人にすぎません。

他人に身を預けすぎると危険です。

坂口恭平という人の優しさと美意識

坂口さんは一人一人の生命力を奪うようなことはたぶん、言いません。一人一人の生命力を信じようとしているのかなと思います。

彼の優しさは世間の常識や手垢にまみれた「優しさ」とは違うように感じます。これは彼の作品や彼自身に興味を持って触れていくなら認識しておいた方がいいと僕は思っています。

それは現在連載中の「お金の学校」にも現れていて、自分のお金にまつわることをさらけ出すことで人が生きやすくなるなら、という優しさを感じると同時に、世の中を眺める冷めた目に射抜かれます。

そこにあるのは冷たさではなく美意識だと思います。

再び、値切ることと美意識

値切ることは文化の一つであり、コミュニケーションでもあります。
それをよしとするならその先にある人生もよしとしないとおかしくなります。

僕は昔小売業をやっていました。値切り値切られの世界にいました。
それは互いの商品(作品)よりもお金を重視する世界観でした。

そこで疲弊して、色々あって結果的に小売業からリタイアしました。

値切って値切られての世界にまた戻りたいのか? と自分に問うと、答えはNOです。
なのにそれをしたのは、お金に取り憑かれていたからです。

「少しでも安い方がいい」

この価値観は、「庶民」という舌触りが良いようにコーティングされた人工甘味料のような言葉の副作用として、ずーっと人生に蓄積します。

意図的に排出しようとしない限りずーっとです。
坂口さんの「お金の学校」に入学したのなら、自分の中にあるしょうもない(と感じる)お金にまつわる癖や垢を全部落とそうとするのがいいと僕は思っています。

熱量、意識の密度が高いままでいられることだけを連続的に渡り歩きましょう。それがどんなに高尚といわれるものでも低俗といわれるものでも、です。

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