自分を生きる冒険の記録−3.私の中で起こっている大戦争

私が罹患した病いのことに関しては諸説あってはっきりしたことはわからないし、どれだけのことを見聞きしても、私の体験は私のものでしかなくそれ以上のことはわからない。それでも、やはりこの世界で起こっていることでもあるので、他の人に必ずしも無関係のことではないんだと思う。

潰瘍性大腸炎は一説には「自己免疫疾患」だと言われている。自己免疫疾患とは

自己免疫疾患(じこめんえきしっかん、英:Autoimmune disease)とは、異物を認識し排除するための役割を持つ免疫系が、自分自身の正常な細胞や組織に対してまで過剰に反応し攻撃を加えてしまうことで症状を起こす、免疫寛容の破綻による疾患の総称。」

Wikipedia

とある。つまり、ざっくりいうと、私の免疫は私の身体を自ら攻撃しているということ。
(私の場合は大腸全体に起こっているが、自己免疫疾患にはいろいろなものがある。)

その説明はまさに私だ、とピンときた。

大腸の内視鏡を何度受けたかわからないくらい経験しているのだけれど、(今は軽い鎮静剤を打って行うことも多いそうだが)泣き叫ぶほどの痛みをもろに味わいながら、主治医が必ずモニターを見せてくれて「ここはひどい」とか「ここはまだマシ」とか「ここは組織とるわ」と言ってプチッと毛抜きみたいな機械で組織を取られる様子とか、全部見ていた。それはそれは、自分の身体にこんなことが起こっているなんて、、、というような、衝撃映像だ。マグマ大爆発!みたいな。

いったい、私の免疫は何をどう勘違いしてこんなことになっているのか・・・
自分ではない生き物に腹の中を支配されているような感じで、私はただただ振り回されるだけ、ご機嫌をとろうとしてもまったく無意味、という状態だった。だから、四六時中気を抜くことは許されなかった。先の予定を立てたり、誰かと約束をすることもできない。

一方で、私が私自身をこれだけ内側から攻撃し続けているというのは不思議としっくりくるところもある。(もちろん、当時はそんな冷静な視点は持っていなくて、そう思えるようになったのは大分先のことだが。)
何者かに身体や精神を明け渡してしまったような感じだったのだが、その「何者か」は私自身の中にある記憶や観念のような気がする。私を否定し、攻撃する言葉はいくらでも私の中にある。過去に言われたこと、社会でこうあるべきとされている(と自分が思って引き受けている)こと、自分で思い込んでいること。。。
そういうものは生き物に本来備わっている自己治癒力をはるかに超えて、むしろ「物理的に」自分を攻撃し、そして負傷させる。自然の状態に治ろうとする作用と、攻撃する作用が腹で喧嘩している。喧嘩どころじゃない、大戦争状態だ。その様子を私は内視鏡で肉眼で観察し、そのことによる痛みや作用を日々経験し、社会的な「私」という存在は抹殺されていく。
(そしてきっと、腹の中の大戦争の前には頭や心の中でもすでに大戦争が起こっていたのだ!)

すべてが自分の中で起こっていることだということを理解するのにはかなりの時間がかかった。
患者として生きている時にはどうやっても理解できることではなかったように思う。大量の服薬やその他いろいろな治療を経験しているが、それらがなぜ効くのか、なぜ効かないのか、私にはまったくわからなかった。
私なりの仮説は仮説でしかないし、それが正解なのかどうなのか、他の人にも援用可能な論理なのかはわからない。人の身体には因果論では説明できないことや可能性が山ほどあるから、論理なんてそもそもないのかも。

ただ、一つだけある事実は今の私の状態だ。

とはいっても、実は2年前に大再発をしている。もう薬を飲まなくなって数年たっていたし、大丈夫だと思っていた矢先のことだ。その時にもかなりの冒険をして、結局1年くらいかけてどうにかよくなった。だから、いつ何があるかはわからない。でも、その1年を超えて、もう大丈夫だという気もしている。絶対何も起こらないということではない。何か起こってもきっと大丈夫だという感じだ。ここまでくるのに15年かかった。そして、自分の身体や精神の探究は一生続く。今はそれが私の生きるコアになっている。とても難しく、とてもおもしろい探究だと思っている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。