自分を生きる冒険の記録−4.絶対に失敗してはいけない

難病だと宣告された時、修士課程の2年生だった。相変わらずもろもろ多忙、しかし自転車で家から大学に行くのも体力がないうえにお決まりのトイレ問題、突然の高熱や痛みなどなどで、いったいどうしていたんだかあまり記憶がない。研修とかは、倒れませんように、トイレに行きたくなりませんように、となんか更衣室で必死に祈っていた記憶はある。周囲にもどの程度どんなふうに言っていたんだっけ。。。

さらにM2だから修論を書かなくてはならない。正直、それどころではなかったのだが、やらねば卒業できない。いろんな方々に協力してもらったのだけれど、結局大悪化。はじめての入院をする事態にまでなり、病院にゼミの先生やえらい先生方が何人もいらっしゃり、パジャマに点滴姿で「卒業はさせられない」と言われた。この時の絶望感は正直病気の宣告より激しかったような気がする。なんか自分を全否定されたようなものすごい怒りと悲しみと悔しさでいっぱいだったが、それを表す体力もない。泣く元気もない。
しかしそれくらい「失敗する」「道を外れる」ということにものすごい自己嫌悪というか、恥ずかしくて許せない感情があったのはよく覚えている。先生方は「もうこんな状態なんだから、しっかり休んでちゃんとよくなってからいい論文書きましょう」ときわめて冷静かつ正しい判断をしてくれたのだと思う。当たり前だ。でも、絶対に失敗してはいけないと、その観念が本当に本当に強かった。
結局、そのまま大学院は退学。そのあと結婚したりしたが、他のことをできる状態ではなかった。(この頃の記憶は本当にほぼない。。。。)

数年後、私はM3として修士課程に復帰し、修士論文を書き、無事卒業。そのあとは恩師との偶然の出会いもあり、博士課程に進学することになった。しかし、そこでも私は相変わらず「絶対に失敗してはいけない」という観念が強く、生死をさまようような事態になっても徹夜で作業をしたり、高熱が出ていても大学に行ったり、入退院を繰り返すことになった。当たり前だが夫はいつも心配しているし、自分でもいつも本当につらかった。
そして当然なのだが博士課程はとても厳しく、同じ心理学といってもそれまでとはまったく違う新しい分野に入ったので、そもそも全然できないことばかりだった。病気のことは研究テーマでもあったので、周知の事実ではあったのだが、チームプレイも多かったのでこのことでやっぱりものすごく迷惑をかけてしまい、いつも申し訳ない気持ちだった。だから、出来る限り「病気を言い訳にしている」なんて言われないように必死にやろうとした。私なりに使命感とか、役に立ちたい気持ちとか、責任感とかそんなのもあった。
でも、研究も臨床も、自分の抱える問題があまりに大きすぎて、一生懸命やっているつもりでもいつも難しさがあった。失敗もたくさんあった。

「絶対に失敗してはいけない」「弱さを見せてはいけない」「道を踏み外してはいけない」
私はこんな観念に支配されて、それに服従して生きてきたのだった。
自分のやっていること、書いていること、言っていることを考えた時に、いつも自分の中にズレが生じる。心や身体に罪悪感や、自己嫌悪が黒い塵のように積もっていく。前を向いて歩けないような気持ちにもなる。

私がやるべきことはなんなのだろうか。どんなふうに生きていきたかったのだろうか。

なぜ、人間のことを、心のことを学ぼうと思ったのだろうか。

私はいったいなんなのだろうか。

こんな問いを持つまでにものすごく時間がかかってしまった。
でも、そこからやっと私の時間は動き始めたのだ。

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