自分を生きる冒険の記録−8.自分を生きたいと願う人へ

今まで生きてきた中で、今が一番純粋で静かな心でいると思う。断崖絶壁に立って、このまま落ちるのか、翼を広げて飛んでいくのか、みたいな状態でもある。でも、純粋な心で問えば、飛びたい、素晴らしい景色をこの目でみたいという答えだけがある。翼なんてないのに!バカだ!とどれだけ言われたとしても、答えは同じなのだ。私たちはみんな自分に翼があることを知っている。でも、今までの私は断崖絶壁の前で「私は飛びたいんだ!」と言いながら、自分を疑って結局飛ばなかった。それで、バカだと言われるんじゃないかと恐れて、自分の声をかき消していた。

でも、本当は気づいている。バカだという人すら本当はもういない。私が勝手に作り出しているだけ、飛ぼうが飛ばまいがどっちでもいいのだ。どうするかは私が決めていい。心にある声を思いっきり出せばいい。そうすれば、大空が、海が、森が、そしてそこに生きる生命が必ず受け止めてくれる。存在が肯定される。

私は、そんな大空で、海で、森で、そこに生息する生命でありたい。

心理士をやめる少し前からずっと人を援助するということ、そしてその職業について考えていました。当たり前のように援助が必要、理解が必要、受容共感自己一致、安心安全な場作り、そんな言葉を使っていました。考えれば考えるほど自信がなくなって、前を向いて歩けない気持ちになって、自分なんかが、と思っていました。こんな自分に何ができるのだろう。援助なんておこがましいんじゃないか。と。

どこかで、自分に弱さがあったり、解決できていない問題があったり、自信がなかったりする人間は人を助けることなんてできないと、思っていたということになります。完全無欠の人間、そんなあり得ないものを求めていたということ。援助職をなんだと思っていたんでしょうか。それがおこがましいということではないのかな。。。

畑に教えてもらったことは、生命には必ず生きる力があるということです。そして、周りに助けられ、助け、時に邪魔をしたりされたりして、それでも生きる。畑は人間社会そのものでした。

自分を見せないでいられるから、何も問題がなさそうだから、強いのではない。生きるということには強さがあるということだと思います。

ここまでどうにかたどりついて、私はもう一度人を助けることのできる人間でありたいと思っています。そう言えるのに6年半もかかってしまいました。でも、人間としてとてもシンプルなことです。生命として正しいことだと思います。だから、もう自分を否定するフェーズはここで終わり。そして、一生かけて向き合うべきものとはこれからもちゃんと向き合っていきます。

これからですが、呼吸ができて、声をきくことのできる空間「IRU HOUSE」を作ろうと思っています。いつになるかはわかりません。でも、今はそのことしか考えていません。自然の力が必要だと思っているのもあり、おそらくそう遠くない先に東京を離れることになるでしょう。場所も大体決めています。
お茶を丁寧に淹れて飲む時間や、畑の土に触れていろんなハーブの中から今のお気に入りを摘む時間や、みぞおちに触れて自分の身体を感じる時間や、大切な話をする時間が起こると思います。空間があれば存在できるのです。私がいて、あなたがいる空間です。

これが今表現出来る限りの私の視界です。

「自分を生きる冒険の記録」今日が最終回です。いつも通りゴールを決めずに書き始め、その都度の感じで書き連ねてきましたが、数日前に今日10/28でしめようと決めました。今日は私の誕生日、そしてちょうど1年前の今日「IRU Project」を始動した日でもあります。そういう意味でキリがいいというだけでなく、この日をまさに「誕生の日」にしたかったからです。過去のことにいったん区切りをつけて、今日ここから信じるように、自分を生きていく。そう決めました。

今日を入れて8回の連載になりました。もちろん書けなかったこともたくさんあります。でも、今書けることは書いたつもりです。具体的なことやもろもろはまたクローズドの場で。

読んでくださった方々に心からの感謝と、希望のある未来への祈りをこめて。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。