ずり落ちる、ノウハウの先へ。 (正敏)

おはようございます。

北海道は長沼町、幌内に滞在して今日で15日目。滞在予定日数の半分が過ぎました。

ここに滞在できるのが嬉しくて、たくさんの人に会っていろんな場所に行けるのが嬉しくて、動き回ってきて。

ここ数日ちょっとゆっくり過ごしていると、改めてこの場所が、このゲストハウスが素晴らしくて、感謝と寂しさが湧いてくる。

もう東京には戻れないーーーーーー!!!!!!

身につけたものが落ちる。ずり落ちる。

そんな経験は幸せです。

日々の暮らしや子供の頃の記憶から身につけてきた「これが自分だ」というイメージ。

荷物といってもいいそれをおろす瞬間、もしくは荷物がもう落ちてしまう瞬間というのがある。

僕が9年間公務員をやっていたと話すと「へー!」と言われることが多い。

それはきっと公務員を辞める人が珍しいからだと思う。

そして、だいたい「辞めるの勇気要りませんでしたか?」と聞かれる。

僕は自分に勇気があると思ったことはカケラほどもないので、多分勇気が必要だったわけじゃないと思います。

辞めた時の気持ちを今思い出して改めて正直に書くと「ずり落ちた」です。

そしてそこにはひとまずの幸せがありました。

「おかえり」と言われたような幸せ。

人は落としたいのではないかなぁと思う。

抱えてきたものがずり落ちるのか、自分そのものが何かからずり落ちるのかもはやわからないくらい、

ずるずる…

ふ…

どさ。

そんな浮遊感というか、背徳感というか、包み込まれる感覚は、きっと幸せだと思う。

それは必ずしも特別なことでなくても、音楽を聴くことであったり、美味しい料理を食べることであったり、性行為であったり、本を読むことであったり、ソファーに座ることであったり、肩書きを脱ぎ捨てることであったり、舞台に立つことであったり、大声を出すことであったり、シュートを決めることであったりから感じられると思う。

ただそれは形ではないのです。ノウハウではないのです。

「音楽を聴いていればそうなる」のではなくて、音楽と響き合うことが必要なんだと思います。

美味しい料理を食べたらそうなるのではなくて、性行為をしたらそうなるのではなくて、本を読んだらそうなるのではなくて、ソファーに座ったら、肩書きを捨てたら、舞台に立ったら、大声を出したら、シュートを決めたらそうなるのではない。

ノウハウの嵐と踊ってクタクタになるゲームからずり落ちて、形の次元をすり抜けて、響き合ったとき、あ、気持ちいい、と感じている自分に気づく、というか。

ずるずる…

ふ…

どさ。

ノウハウにがんじがらめになっている自分が見ている世界はノウハウでできているように見えるし、ずり落ちた自分が見ている世界は違って見える。

形を抜けて、一人一人と響き合っていこう。

怖がりですぐに忘れてしまう僕だから、何度でも思い出そう。

何度でもずり落ちよう。

僕たちが重力で引っ張られる世界にぽこんと生まれ、生命の海の波に揺られ、細胞を揺らめかせ、背骨を波打たせ、筋肉を収縮・弛緩させ、声帯を震わせ、内臓を激しく働かせ、脳内に電気を走らせ、「私はここにいる」と叫ぶ間、ノウハウなど実は一度もなかった。

全て裸であった。

全てが奇跡であり、全てに法則があった。

ノウハウなどという小さな約束事に根拠はない。

法則・原則はあれど、そこに流れているものは愛であり、偉大なる破壊と創造であった。

ずり落ちることは思い出すこと。

そこにあるのは、

スイス料理やさんにあった数々のアルバム
店主さんのお父さんの旅行写真と言葉たち

「おかえり」

「ただいま」

という幸せ。

なんじゃないかなぁと思います。

今日も幌内は静かです。

今、ここにいられることに感謝です。

読んでくれてありがとうございます。

IRU Project 赤阪正敏

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