幌内に滞在して22日目。新月。
幌内に来てからものすごい数の出会いを経験して来たけれど、ここ数日の流れはさらにすごくて。
幌内に長く住む方々が優しくお家に招いてくださることがたくさんありました。豊かな自然、美しい空間、素晴らしい眺め…
改めて、僕たち二人がなぜこの地に惹かれてやって来たのかを、言葉以外の部分で強く感じる日々です。

意味が剥がれる
人によって行動の意味は違います。
以前介護の仕事をしていた時、食事を終えるのに3時間くらいかかる人がいました。自閉症の男性でした。
彼がご飯を一口食べるまでに1時間以上かかることもあり、常にお腹が空いていたと思います。
彼は食べるために数多くの障害を超えないといけません。
僕にはそんな風に見えました。
食べ物を口元に運んでは食べられずお皿に戻したり、いろんな情報を拾ってそちらに気がいったり。
とても可愛くて、純粋な人でした。
その人の存在は、介護の仕事を辞めてからも僕の中にずっと残っています。

誰かにとっての食事は、僕にとってはハードル跳びのようなものなのかもしれない。
僕にとってのマッサージは、誰かにとっての格闘技のようなものかもしれない。
自分にとっての「あれ」はなんなのか。
一つずつ見ていく。
新月、僕にとってはそういうことが始まったのかもしれません。
今気になっていること一つ、そのことについて丁寧に見ていく。
自分自身で見ていく。
とはいえ、人の手も借りることはたくさんあります。
長沼町で出会ったたくさんの友達、そして麻由。
助けられながら、自分で自分を扱い、助けていく。
世界は自分の鏡です。
自分が自分を丁寧に扱ってあげることで、世界は1ミリだけ、その度に美しくなるかもしれない。

クンルンシステムのうちのイージョンとマオシャン五行をやりながら、そんなことを考えていました。
瞑想もいいのだけど、イージョンやマオシャン五行は意識がはっきりとした状態で今・ここ・自分自身でいられるので、僕にはとても向いているなと思います。
先日書いたブログ、「誇り高きカラスのような静けさを。」の時と同じ場所に、今日もカラスが一羽とまっていた。
あ、とまっているな、と思っていると飛び立った。

自分で自分を扱い、助けること。
自分で自分の希望を潰さないこと。
そういう風に生きてゆきたい。
IRU Project 赤阪正敏