時空を変容させるように生きる。 (正敏)

以前、境界線を描かずに描くということという文章を書いた。

確かにこの世界に境界線はない。

僕の指とPCのキーボードは境界線で区切られているように見えるけれど、身体とキーボードを構成する最小単位の存在が触れ合って混ざり合っている。

だけど、そこに境界はある。

正確に言うと、境界を設定する自由が人間にはある。

境界を設定することは構造を作ること。

例えば挨拶。

歩きながら「どうも」と言うのか、立ち止まって姿勢を正して「こんにちは」と言うのか。

それだけで境界の在り方は変わる。構造が変わる。

他人を操作したり変えたりすることはできないが、この場・この時間の質感を決める力が人にはある。

その力と責任をはっきりと自覚することからいわゆる「場作り」は始まるし、IRU ProjectもIRU houseの活動も始まる。

時空を変容させるように生きる。

ちょっと言葉が抽象的になっているなぁと思うのだけど、今はそう言いたい。

行動の一つ一つ、思考の一瞬一瞬が時空を変容させる。

僕が会う人に向ける視線、抱く敬意の深さ、そういうものによって僕の世界は変わる。

一人ひとりがそのことを深く自覚して行動し、思考したら、世界の振幅はもっと美しくなるのではないか。

その美しさは今ある次元で測られるものではなくて、それぞれがあるがままで美しい、というようなもの。

「あなたはあなたのままでいいんだよ」のしゃらくせえ感じではなく、「あなたはあなたのままでしかあれないし、むしろあなたのままであることに全責任を持て!」という厳しさの奥にある優しさ。

に希望を感じる。

具体的に言うと人との関わりの中で僕は流されすぎてきたのだ。

間合い、リズム、言葉の選択…全てにおいて流されすぎてきた。

大阪の河内に生まれ、ボケとツッコミの文化に適応できずに、でも中途半端に適応しようとしてきたから、身体が心地よいと感じるリズムが半分くらいは人工的なものになっていた。

人工調味料みたいな言葉を使いすぎて自分の境界を丁寧に味わい、設定する力が弱くなっていたのだろうと思う。

自分の境界を知り、大切にし、人の境界を感じ、敬意を持つ。

IRU Projectは、自分が、人が「いる」ために、僕たちができることをしていきます。

この世界で「いられる」ことは、とても幸せなはずだから。

IRU Project 赤阪正敏

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