身体の声をきけるのは自分だけ。

アーユルヴェーダを本格的に学び始めたのはちょうど1年くらい前。

アーユルヴェーダというものに出会ったのはもっとだいぶ前だったけれど、その時は病気を治すための食事法やセルフケアのことを探究していた時だった。
でも、ドーシャのセルフチェックをしても、こんな症状があるならばこんなことをやったらいい、と書かれていたものを読んでも、まるで意味がわからず、部分的に取り入れたりしてみたけれど、まったく続かなかった。

とにかく、自分の身体を良くしたいという一心でいろんなやり方を探していた。

マクロビオティック、玄米菜食、糖質制限、分子栄養療法、、、いろんなものを試してみたけれど、私はなぜそのような考え方なのか、というところまで考える余裕がなく、ただカタログのように何を食べればいいか、何を食べたらいけないか、ばかりを探していた。

かつて病院で数えきれないほど受けた栄養指導で「この病気の人が食べてはいけないリスト、注意しながら食べるべきリスト」を見せられるたびに心がぎゅーっと縮まっていく感覚があった。

もともと食べるのは大好きだ。
でも、あれもダメ、これもダメ、と言われ、しかもかなり重症だったわたしは食べること自体が難しかった。
数ヶ月ほとんど何も食べられず、入院したら首や鼠蹊部から太い管を通され、1日2000kcalとかの「栄養」を24時間流し込まれる。
退院できても、何を食べるのかという問題は果てしなく続く。制限だらけで、ただただ途方に暮れるばかりだった。(そもそも、そんなに真面目にできないので、当たり前だがしょっちゅう爆発する。)

病気の痛み苦しみはもちろんなんだけど、このきついきつい制限がどんどん自分を小さくさせる。

結局病院の栄養指導を受けなくなったあとも、さまざまな食事療法を試していく中で、もしかしたらさらにきついかもしれないほどの制限をかけていた。
スーパーで、レストランで、宅配の注文で、何をするにも「これは食べちゃダメ、これなら食べていいかな」と判断しなければならない。身体が、心が、「もうこれは飽きたよ!あっちが食べたいよ!」と言っていてももちろん無視、もしくは抑圧。

一番きつくやっていた時は、友人と行ったカフェで「これは●と●と●を使ってる・・・何も食べられるものない・・・どうしよう・・・」と困り果て、罪悪感とともに「仕方なくマシなもの」を選ぶ。

なんだか、この時のことを思い出すとね、とにかく悲しくて、寂しかったなと思う。

もう一生、何も考えず好きなものを好きなだけ食べるのができない、食べる楽しみを味わうことができないんだと思うと、本当に潰れそうなくらい・・・(今思い出しても泣きそうになる・・・)

一時期いろいろと制限して、それによって改善したこともたくさんあった。
でも、やっぱり、(後になってわかったことだけど)その制限と引き換えにしていたこともとても大きかったし、何より、なぜそういう考え方でどうしてこれとこれとこれは食べない方がいいのかがちゃんとわかっていなかったから、「ただの制限」になってしまっていた。
理不尽さとか、なにかおぼつかない感じとか、いろいろ抱えていたなと思う。

それで、大再発してまさに「背水の陣!」となった時にたまたま目にした、糖と油についての考え方に何かピンとくるものがあって、死にそうになりながら講座を受けに行ったり、そのあとも学んで実践し続けている。

いろんな道を辿って、これをやっていれば絶対治る!という方法なんてないんだということがわかった。
ただ、私の身体は私が生きるしかない。
だから、毎日絶え間なく動いて壊したり修復してくれたりしてメンテナンスし続けてくれているこの身体に感謝して、そして責任を持って付き合う。
ちょっと冷えているならばあたためてあげる。様子をみて、かかわる。
おいしいと思えるものを、大切にいただく。ちょっと無茶した時は、私もできるメンテナンスを。そして、信じてまかせる。
(もちろん、いろいろな形での励ましや希望も必要だよね)

あぁ、悲しくて寂しかったのは、まるで身体をみてかかわっていなかったからなんだな。
本当に面倒な身体だと思っていた。暴れまくる身体を違う生き物みたいにどうすることもできないとあきらめていた。憎んでいたかも。何を憎んだらいいかわからないから、身体、もしくはこんなことになってしまった運命を憎むしかなかったんだな。

だから、選んだ「方法」が制限してくるんじゃない。
自分を苦しめるようなことばかりを自らに課して、治癒はその制限の苦しみと引き換えでないといけないと思い込んでいたんだと思う。

今になると、はっきり思う。
その時は必死の選択だったし、がんばったけれど、身体の声をきけるのは私だけだった。
薬や食事法が治して生かしてくれるのではない。

私が、私を生きるということを大切に持っていれば、必ずいい方向に向かっていくと思う。
それがまさに「自愛」ってことなんだな。
(「自愛」という言葉を調べたら、「病気などしないよう自分を大切にすること」とあった。あなたが元気でいられますように、という祈りなんだ。誰かへの手紙やメッセージの結びにこの言葉を使うのってすごくいい文化だな。)

みなさん、ご自愛くださいませ。

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