新月の膿出し。身体のリズムで社会を生きるために。 (正敏)

新月の前後、色んな膿出しがつづいています。毎日生まれ変わっている感じ。

ここ一週間くらいで口内炎やできものができたりお腹を突然壊したり。先日の新月の夜は身体が眠りたくないと言っていて、本を一冊一気に最後まで読んで、涙が出て、また違う本を読んで、泣いて…ようやく早朝に眠りました。今朝はものすごい悪夢を見ました。

大切なのは、中庸ですね。そのために「日々の営み」があるとも言えるし、「日々の営み」の形を追っているだけでもいけないのです。生命を込めないといけない。生きないといけない。

身体が求めることというのは、身体の文脈においては間違っていないと思います。

「身体の声を聞くとかしゃらくせえ」みたいな意識が僕の中にもまだ残っていたんだなぁと気づくことがあります。「そんなことしてたら社会で生きていけねぇぜ」みたいなのは、頭や意識の範疇の価値観です。僕の意識が「社会とは身体のリズムとは合わないもの」だとまだ設定している、ということです。此の期に及んで? と思いますし、今日気づけてよかったなと思います。

社会は身体のリズムとは合わないものなのだろうか

この社会を根底から支えるリズム・思想というものがあります。それが僕という個人レベルにまで敷衍されて広がっています。多くの人がそうなんじゃないでしょうか。それを受け入れて来た歴史があるからです。育って来た環境で、周りの大人の社会システムとの関わり方、学校というものへの関わり方、他者との関わり方…ずっと社会システムに則って生きて来た歴史が、人それぞれの中にあります。それらと改めて出会い和解しながらお別れしていく、それが結果として膿出しになるのでしょう。

さっきも書きましたが、今朝は久しぶりの悪夢でした。ものすごく恐ろしいものが頚椎から背中に入って来て、ツーッと背骨を駆け下りていき、そこで目が覚めました。脳髄から大椎、命門、第二仙骨、というポイントを意識して動くということを最近していたから身体の奥底が目覚め始めたのかなと思います。悪夢から覚めた後はものすごくスッキリしていたので、身体がここ数日で色々排出を頑張ってくれていたのでしょう。

膿出しって本当に大切なメカニズムで、思い返せばそういう「原因不明の(と思っている)体調不良→スッキリ」というサイクルによってガンッと視界が変わるような変化を何度もして来たように思います。身体って、意識していないところでたくさんの働きをずーっとしているので、実は僕たち生命体というのはみんな頑張っています。「頑張らなくていいんだよ」っていう声かけがあり、たとえそれでホッとした人がいたとしても、その人の体内のミトコンドリア(すごいストレスで数は少なくってるかもしれませんが)はなんとか代謝を回そうとしているだろうし、交感神経が副交感神経にスイッチしたとしても、自律神経そのものが頑張っている。(陰陽のどちらもそれぞれの頑張りをしている)そういう意識外の領域というものがあるということを締め出そうとするのが社会のリズムだとすると、社会のリズムと身体のリズムが合わなきゃ嘘だろうと思います。

社会のリズムは身体のリズムの得体の知れなさ、把握しにくさのためにそれを押し込め、飼い慣らし、締め出したのかも知れません。

この構図は、人種差別、性差別、いじめ、などと同じものだと感じます。

争うのではなく、溶け合う

僕は人を蔑んだり人を嫌ったり人を妬んだりして来た人間です。だからこそそういう雰囲気や価値観をもうこれ以上再生産したくないなと思っています。

社会のリズムに身体のリズムを合わせるのではなく、また僕が社会のリズムで動いているときに相手の身体のリズムをこちらに合わせさせるのではなく、

お互いの身体のリズムで関わりあう人たちが集まって、結果的に社会のリズムが出来上がっている

そんな世界観で生きていこうと決めました。

僕は昔公務員でしたが、最後の方は自分でもよくわからない心身状態で、辞めるのが怖いという気持ちもなく、8年くらい前に辞めました。自分の中で社会のリズムが極端に小さくなり、ほぼ身体のリズムで生きていた状態だったのだと思います。それはある種病的な状態で、(別の意味では健康な状態で)そこから「僕なりの社会のリズム」を取り戻す旅が始まったのだと思っています。

社会と争うのではなく、溶け合う旅です。

自分なりの社会のリズムを取り戻す

その旅は今も続いています。

自分なりの社会のリズムを取り戻す

それが僕にとってのIRU projectです。

矛盾しているように聞こえるかも知れませんが、社会のリズムは社会から与えられるものではなく、自分で作り出すものです。作り出すためには軸・基盤が必要です。それが身体のリズムなのではないでしょうか。自分の体温・心拍・心の動き・好きな味や好きな香り…そういったものがあって、「俺はこれが好きだな!」「私はこういう感じをずっと持ってたいな!」という喜びをベースに、そんな社会を作るために成長し、大人になり、人と協力していく。

そういう人間の集まりとしての社会があって、有機的で流動的な社会のリズムが結果としてあるように見える、という状態を僕は目指しています。

だから、身体のリズムをまずは知り、感じ、取り戻す必要があります。それが「日々の営み」なんですね。自分でもだいぶほぐれてきたな。

日々の営みには心身のことや衣食住のことが含まれています。それは「自分なりの身体のリズム」であって、それをベースにするからこそ「自分なりの社会のリズム」ができていくんだと思います。

こうして、いつもブログを読んでくださる方、今日初めて読んでくださった方に向けて書いているけど、同時に僕は僕に向けても書いています。

「あなたはあなたのままでいい」ではなく「変わらねばならない」でもなく、「あなたはあなたのままで変わっていくんだ」ということ。それがホメオスタシスを持ちながら流転してく生命そのものだということ。

身体のリズムで社会を生きられないと嘘だろう。

この思いを持ち続けながら、これからもIRU projectを続けていきます。

身体のリズムにご興味ある方、どうぞセッションのページもお読みください。

正敏


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