世界から何を取り入れるか(mayu)

遠くから届いた焙煎したてのコーヒー豆の封を開ける。芳ばしい香りにふわっと包まれ幸せな気持ちで、手動ミルでさっそく挽いていく。いつも通りネルドリップで。何年もほぼ毎日さまざまな豆でこの工程をやっているから毎回違う膨らみ方や香りの雰囲気でいろんなことがわかるようになった。「おいしいよ!楽しみにしてて!」という声がきこえるようだった。今までにないくらいワクワクする時間を経て、今日のおやつである「生クリームと蜂蜜をホイップさせたもの(最高!)」を横に一口。とんでもなく美味しいコーヒーに感動して、今の自分が正しい選択をしていることにも確信を持つ。

ファーマーズマーケットに並ぶたくさんの野菜をみていくと、どのお店のどの野菜が自分たちに必要なものかぶらぶら歩いているとだいたいわかる。野菜の並べ方や、値段の書かれた紙、野菜を入れた箱の質感、お店の人の雰囲気、すべてが表現であって、それに共鳴するものがあるかどうか。そういうところは後で見るとだいたい固定種で自然栽培だったりするから驚くのだが、そういう「肩書き」で判断するよりも、よりはっきりした雰囲気でわかることがうれしい。

この世界に存在するたくさんのモノたちはそれぞれがそれぞれの表現をしている。何かをしようとしなくても、現れてしまう。●●風にしているものは●●風にしていることが現れる。

きっと、自分にとって大事なことに対してはセンサーがよく働くのだと思う。

私にとってのその重要事項の一つが食べ物に関することで、そしておいしいものがとにかく好きなのである。心身にとってうれしいものがおいしいものである!ということを知った時から、私はこんなラッキーなことはないと思った。「良薬口に苦し」っていう場合ももちろんあるのだが、わたしはおいしいものしか食べたくないし、純度を上げていけば上げていくほどおいしいものだけ食べていればよくなる。こんな幸せなことがあるでしょうか!


まぁ、この「おいしい」っていうのもいろいろと深い世界。
身体にとって何が必要なのかとか、依存とか中毒とか言われていることとか、農薬や添加物や環境ホルモンとか、種の話とか、いろいろとシェアしたいこともあるし、すごく大事なことなんだけど、でも、まずこの「おいしい、うれしい」という気持ちを本当に味わって食べているかというところに目を向けたい。
食べるということに本来罪悪感とか必要ないはずだし、身体は必要なものを欲すというのもその通りだと。そこにはいろんなヒントが隠れている。何かを食べて身体が喜ぶ感覚というのは、多くの人が知っているはずなのだ。



毎日空気を吸って、いろんなものを食べて、いろんな人のあり方に触れて、情報を取り入れて、それらすべてが私たちの血となり肉になります。

自分にとって必要なもの、身体を作り心を動かすものとして、世界から何を取り入れるのか。何をわたしのサポーターにするのか。

私自身も経験がありますが、例えば食べるものを変えると人間関係や目に入るもの、心身の状態、などなど、あらゆるものが変わっていきます。それは良くも悪くも、かもしれません。世界との関係性が変わる。わたしという場が変わるので、そこで起こるものが変わる。
波長が変わるといってもいいかもしれません。波長が合って共鳴するものとは惹かれあい、共鳴しないものとは離れる。考えなくてもそうなっていく。
でも、頭がそれを否定し、抑圧し制限をかけてしまう働きをしてしまうと、むしろ自分には合わないものばかりと一緒にいることになって、それは苦しみになってしまいます。

私たちはさまざまな情報や圧力や観念によって、わたしの身体や感覚よりも他の何かを優先してしまうことが多くなっていると思います。心の奥の奥まで入ってしまったそれらの「わたしではないなにか」から、「わたしの」身体を、感覚を取り戻すのは容易ではありません。

でも、私たちには「わたし」という存在を保ち、生き延びるために、一瞬も休むことなく働く機能が備わっています。それなりの時間はかかりますが、人・食べ物・香り・旅・学びなどなど、さまざまなサポーターとともに、今ここからやれることはいくらでもあります。

いい方向であれ、悪い方向であれ、変わることは本来人間にはストレスになります。こわいものです。
でも、あなたが、あなたの生命を生きたいと願う限り、その方向に導かれるものだとわたしは思います。

そして、その道のりはきっと「おいしさを目一杯味わう旅」になるでしょう!


初めての方のための個人セッションメニューです。必要な方に届きますように。

最近の視界を書いたものです。

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