なんとなくフラクタルから。 (正敏)

昨日、ようやく僕自身納得できるホロスコープ鑑定を形にすることができました。その説明文のなかでも少し触れているのですが、この世界は全てフラクタルで捉えられるんです。ですが、それをなんとなくしか感覚していないことにも思い至った日でした。

Ethër』試香会&『Rainbow Caravan』万華鏡展示会に行ってきて、それがよくわかりました。

たくさんの美しい香りと万華鏡があり、調香師の野口裕也さんと万華鏡の作者石井織絵さんと触れられる特別な時空間でした。

完全手作りの美しくずっしりとした万華鏡たち。

万華鏡を覗いているときに、

ああ、この世界は全部フラクタルで見れば同じなんだ、それをどう認識するかなんだ

と落ちた瞬間がありました。

太陽とアリンコがぶつかったらアリンコは死にます。太陽は気づきません。だけど、クォークや原子のレベルで見れば淡々と組成が変わって一つになっただけのことであって、「アリンコが弱くて太陽が強い」「アリンコの方が劣っていて太陽の方が優れている」というものではないのですね。生命としての死という認識もない。

万華鏡を覗きながらそんなことを考えながら、直後に社会的な認識が襲ってきます。死にたくないし、弱いより強い方がいいのではないか、小さくよりは大きく生きたい、とか。

香りも成分も見た目も精神も美しい香りたち。

強い思いと努力が結晶化された万華鏡と香りたち。

視覚と嗅覚からの情報量が膨大になっていた上に、自分の中でのフラクタルの認識がオーバーシュートし始めて、一人椅子に腰掛けて少し休んでいました。

するとある方に話しかけられて、自分がいる場所、今の感覚、考え、これからしていきたいことなどを言葉にする機会をいただき、すこしだけ語り合いました。

ふと話しかけられたときにどれだけ自分自身でいられるかというのは、自分を見る一つの指標になります。

自らを語る言葉が生き様とフラクタルであるはずです。
自分を問われて、できるだけわかりやすい言葉で話そうとするなら、できるだけわかりやすい在り方をしようとするでしょう。
ただ自分の思いに正直に言葉にしようとするなら、自分の思いに正直に生きようとするでしょう。

自分はどう在りたいのかを考えるなら、自分はどう在りたいのかを探求する人生になるはずだから、全ての人が自分はどう在りたいのかを考える機会を持つことはいいことだと思います。

僕にとって昨日の試香会&万華鏡展示会はそういう機会になりました。僕は友達という存在が少ない人間なのですが、尊敬する人は結構多いかもしれません。そして、僕にとって尊敬する人というのは、今の自分を見つめざるを得ない気持ちにさせてくれる人なんです。

裕也さんの声、言葉選びの正直さ、居住まいの静謐さには、「さて、僕はどうだろう」と思わざるを得ません。

なんとなくフラクタルから抜けよう。
自分がいるフィールドをよく見つめよう。
この世界はフラクタルであるからこそ、どのフィールドで遊びたいかを真剣に決めましょう。

裕也さん、石井さん、関係者の皆さん、素敵な空間をありがとうございました。

IRU project 正敏


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