それぞれのあり方で(mayu)

ちょっと久しぶりのブログになりました。

それぞれがそれぞれのあり方で生きていることを認め合う

ということを本当の意味で実現するのはとても難しいこと。

そう感じる人の中には、もしかしたら自分の感覚や思いよりも他の何かを優先して生きてきた人も多いのかもしれません。

心理学を学んでいた時には、基本的に人のパーソナリティをいくつかのタイプに分けて捉える考え方(類型論)はあまり扱われず、さまざまな要素の集合体として捉える考え方(特性論)を主に学びました。(数値化したり、レーダーチャートになっているような心理テストなどは特性論的なものです)

私自身も、人をタイプ分けすることは偏った見方になってしまうとか、その人自身を見ていないのではないかとか、そういうふうにかつては考えていました。

でも、アーユルヴェーダ (5大元素ならば5、トリドーシャならば3)、四元素説(4)、体癖論(10、または12)などなど、いわゆる類型論的なアプローチで人をみる考え方を知ると、これらは類型論で批判されているような「トップダウン的に当てはめる」ような見方ではなくて、それを見立てや対話の緒にしていくことが重要なのではないかと私は考えています。
(もし「あなたは●●なんだからこういうところがありますね」とか「そういうところは○○の人だからね」みたいに短絡的に考えてしまうのだとしたら、それは「トップダウン的に当てはめている」と言える場合もあるだろうし、むしろ見立てる側のあり方がシビアに問われるやり方なんだと思うのです。)

人をみるというのは、当たり前ですが簡単なことではありません。相手をみているつもりが、それをみて判断している自分自身の反映であるということも同時に真であると思います。
だからこそ、そのような枠組みがあることで、どうにかその人にアクセスしていくための取っ手のようなものをつかむところから始められるのならばとてもいい方法だなと。

それは、カウンセラーやセラピスト側だけでなく、もちろんご本人にとってもご自分を知り、探究していくのに非常に有用だと感じています。

私自身も、今までどうしてもつかみどころがなかった自分という存在を俯瞰してみられるようになり、その探究は本当におもしろく有意義なものです。
自分はなぜこうなんだろう?とか、なぜここにずっとこだわるのだろう?というようなことがとてもよく理解できるし、同時に誰とも比べずに自分を受け入れていくプロセスにもなりました。
もう15年一緒にいる夫のこと、親のこと、近くにいる人のこと、それから世界の見え方も一変しました。

そう、上に挙げたようなアーユルヴェーダなどの考え方というのは、世界のしくみを象徴化したものというところで共通しています。
ですから、人にラベルをつけてジャッジするようなものではありません。

そしてとても大事なこと。
私たちはそれら(例えば火地風水)すべてをもっていて、そのバランスが人それぞれ違う。そのあらわれが、体型であったり、気質であったり、ということです。
それが「個性」であり、それぞれに持って生まれた個性があると認め合うことが「多様性」ではないでしょうか。

陰陽や、元素に優劣はありません。
(もし優劣を感じる部分があれば、それは自分自身のもつ優越感や劣等感と結びついているかもしれません。)
すべてがないと成立しないのがこの世界です。

身体を冷やす食べ物とあたためる食べ物、どちらも必要なのは、朝と夜があるのと同じことです。
糖も油もたんぱく質もミネラルも全部あって私たちは生きています。

あなたがいて、わたしがいて、それぞれのあり方で補い合いながら世界は存在しています。

それを知ると、私という存在、近くにいてくれる人たちの存在がとても尊く思えます。


個人セッションメニューリニューアルしました。必要な方に届きますように。

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