方向転換をせまられるとき(mayu)

自分でも説明がつかないけれど、自分の中に少しずつたまっていった違和感や想いが閾値をこえたように噴出することがあります。

それは、もうこんなところにいられないとか、もうこんなことをしていられないとか、そういう強い気持ちとして現れることもありますし、
このままでいいのだろうかといった悩みや苦しみとして現れることもありますし、
心身の不調として現れることもあります。

いずれにせよ、方向転換をする時だということを、身体は、心は、私が認識するよりも先にわかっていて、教えてくれているということなのだと思います。

それは免疫のようなもので、私たちには自分を守るシステムが必ず備わっているのです。


自分の感性に誠実に学びを進めていくと、自分の積み上げてきたもの、信じてきたもの、軸になっているものがガラガラと崩れ落ちることがあります。

私も、7年ほど前に学術の世界を離れましたが、ほとんどすべての資料や本を処分し、もう二度とこの世界には帰らないと思っていました。
決心したというよりも、何しろ心身がとっくに限界を超えていましたし、食を変えることになったのをきっかけに見える世界が一変してしまったので、気がついたらそれまでの道とはすでにまったく違うことになっていたという方が正確かもしれません。
周りのいろいろな声もありがたく感じることもありましたし、積み上げたキャリアも資格もかけてきた時間やお金も多大な不義理も、もう仕方ないとしか言いようのないくらいに迷いはなかったのです。

考えてみれば、普段は先のことを考えて迷ったりすることが多いのですが、本当に大事なことは誰になんと言われようとも自分の思う選択ひとつしかなかったなと思うのです。

きっと、誰もが大事な選択は説明のつかない何かに突き動かされたり、意識して選択したものではなかったりするのではないでしょうか。
(なぜ夫を生涯のパートナーとして選んだのか、まるでわかりませんし!)

身体が知っている、とはそういうことなんでしょう。

つい誰かと比べたり、いろいろな思い込みで悩んだり迷ったりしてしまうこともあるのですが、それはそれで必ず自分の道と違えば方向転換を迫られるだけのこと。まったく無駄なことはありません。

学術の世界から離れてから、本当にいろいろなところを旅してきました。
毎日天気や季節をみながら畑とかかわる生活をしたり、人と輪になって過ごす時間もたくさん持ちました。歌を作って舞台に立って歌ったり、CDや本という作品も作りました。カフェで畑の野菜とスパイスのお料理やお菓子を作ってお出しする経験もしましたし、そして、私の身体が持つ力で難病を克服するという経験も。

失敗も、たくさんたくさんしてきました。

そして今、再び本当の臨床家とはなんだろう。

というところにいます。

臨床家をやめてからの道のりは本当にかけがえのないものだったと今は確信しています。
(もう一度やることなど絶対にできません!)



資格も地位も技術もキャリアも、あなたという存在を超えるものではありません。

どんな道にいこうとも、自然の流れに逆らわなければ自分の生命を生きるという道に必ず行くはずです。

それが、私たちみんなに備わった生きる力だと思うのです。


共に歩いていきましょう。


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