「自信」なんてなくていい(mayu)

この世界に万人共通の絶対的に正しいことなんてないとしたら、人に何かを教えたり、施術をしたりしている人はどうやって自分のやっていることに確信をもっているのかなとずっと思っていました。

長い間学んできたことや、無意識に刷り込まれた観念が見事に全部ひっくり返ってしまった時に(この10年で、そしてこの1年でほとんどすべてといっていいかなと思います)、いかに自分を明け渡してしまっていたか、自分が疑うこともないくらい骨の髄まで染み込んでいた価値観に守られて(隠されても)いたか、そして、いかに自分で考え行動することをしないで済んできてしまったのか、ということに気付き、心底失望し、愕然としました。

それはそれは、逃げてきたとか、思考停止だとか、自分を責めに責め続けてきたものですが(涙)

でも、今は気づけたことに価値があると心から思えるのです。

いや、何にもできない自分と向き合うのは実際とても苦しいことでした。でもね、自分の道を歩こうと思うならば絶対に必要なプロセスなんだと思うんです。

自信がないのにあるふりをしたり、もたないといけないという観念に取り憑かれたままいくのはむしろ遠ざかる道に進むことになる。
なんかあった方がいい、もつべきとされている「自信」なんてなくていいから、真っ暗闇であっても自分の中に必ずある光を探す旅にしか希望はないのです。

その光はどんな時も失われることなく、どんなに小さくても必ず奥底で輝いています。

それとともにあるものが自信とか確信とか呼ばれるものなんじゃないかなと思います。


アーユルヴェーダの教えでは人生の目的には4つあって、
・ダルマ(義務、正義)
・アルタ(富)
・カーマ(快楽、愛)
・モークシャ(悟り)
といわれています。
これらは順番に達成されるともいわれていて、まず自分の与えられた使命(ダルマ)をやり、それによって富(アルタ)を得て、愛のある人間関係や娯楽(カーマ)を楽しみ、最終目標である悟り(モークシャ)への道をいく。

まず、自分のダルマを知り、遂行すること。
そこから始まるというのは深く納得できることだなと思います。

ダルマを本格的に遂行していくプロセスは30代以降から始まるといわれていますが、現代では自分の使命を知らないまま人生を終えていく人も多いのかもしれません。

私も、30歳になる少し前に地盤が揺らぎ始め、30歳すぎでいったん完全に壊れました。
そこからずっと自分のことが掴めないまま模索してきましたが、30代終盤になってやっと見えてきたところです。

これには早いも遅いもなく、必要とする人(こういう探究をしてしまうという性質そのものがダルマなんだと思うのです)は必ずどこかのタイミングで始めていくことになるのでしょう。

セッションではきっとそのあたりのことも探究していくためのヒントになると思います。


これまでのことを少し前にまとめて書いた文章です。


個人セッション受け付けています。必要な人に届きますように。

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