抑圧に抑圧を重ねる(mayu)

何かをしようと思った時に「こんなことしたらこう言われるんじゃないか」と気になって動け出せないことってよくあるなぁと思うんです。
しかもそういう時って「実際には誰にも何も言われていない」ということにすら気づけないことも多い気もします。
もしかしたらその時「こんなことを言ってくるであろう人」として浮かんでいる顔も毎回同じかもしれません。

それで、気になっているという状態自体をよく見れていないままで「誰もあなたのことなど興味ありません」「自意識過剰」などなど・・・よく言われている「まぁ気にするな」って言葉を取り入れると、自分にはどこまでもたどり着けないというか。
自分はとても気になってる。とても気になってるのにそれをないことにしてしまうこともよくあるのかなと思います。

抑圧に抑圧を重ねる。

私たちの多くはきっとそんなことを日常的によくやっているなと思います。

それ自体は、心の防衛機能の一つでもあるので必ずしも悪いことではないのだと思います。

ただ、「無いことにしたことは無くなりはしない」というのも真実なのかなとも。

身体も同じで、外から微生物や身体にとって害があるものや不要なものが入ってきた時に、通常貪食細胞が攻撃し排出する働きがありますが、それができない状況の時、まずいったん押し込めておくことがあります。
ただ、それはないことにしただけで、なくなったわけではないので、いずれ何かの形で処理しなければなりません。

積もり積もったものを処理するためには大きく壊し、炎症を引き起こさないとできないかもしれません。
でも、そうしないと生き延びられないと身体が判断すれば、症状としてはつらいものになるかもしれませんが、いつかどこかで必ずなんとかしようとします。
でも、私たちは症状を止めたいので、また押さえつけます。いったん症状はおさまるかもしれません。しかし、それはやっぱりどこかでなんとかしなければならないものなのです。その場合、生き延びるために身体はさらに大きく壊して再生させようとするでしょう。

つまり、やっぱり小さな抑圧は小さいうちに光を当てておくのが大事なんだと思うんです。

闇を闇に押し込んでも、見えなくなるかもしれませんが、なくなりはしません。
闇に光を当てれば闇は闇ではなくなります。それは、扱うということ。
静かに目を向けるということです。

そうすると、あなたがそこにいます。
他の誰かの声は誰かの声としてあるかもしれない。気になって動けないかもしれない。
でも、あなたがいるということを忘れないでほしいなと思います。

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