目を開く時(mayu)

今もうすでにこの世界が解体されているのだとしたら、もしかしたら、それらをはっきり分けている旗みたいなものは「身体感覚」になるのかなと思う。いい悪いではない。この感染症にまつわる一連の現象は原因ではなく、可視化のきっかけになったということなんだと思う。

みんな自由になりたい。そのためにはっきりとわかりやすい形で正反対の解釈や選択をする。

ただ、何か不可逆な流れを感じざるを得ない。

暗い話じゃないんです。シリアスになりがちだけど、そうじゃないなと、最近思います。

もっともっと見ていきたい。

光があるから見えるのです。目を開く時がきたということなのです。

開かないと生きていけないということでもあります。感覚器官としての目であり、身体の目、心の目を。

目があるということは身体があるということ。
今ここに身体があるということは、そこでいろんなことが起こっていて、何かやるべきことがあって、生きているということ。



「治らない病気」が治る道に舵をきってから10年くらいたちます。

10年間、何をやってきたかというと、身体と心を私のもとに取り戻す・・・いや、私のもとにいたことはそれまで一度もなかった気がするので(だから病気になったともいえるわけですが)、そこから私が感じ、私が考え、私が決め、私が歩き、私が話し、私が生きる、ということをとにかく一生懸命やってきたのだと思います。
しかし同時に、10年間はその失敗の歴史でもあります。

さて今。
私はここにいます。生きています。身体や心はちゃんと動いてくれています。
何が脅威で、何をすれば(しなければ)病気になるか、感覚でわかるようになったのかもしれません。

今日、はじめての講座をしました。これからいろんな人に伝えていきたいと思っています。

確かに、何を食べるかとか、何を選択するかとか、心身をどう整えるかとか、身体のしくみのこととか、世界がどうなっているかとか、全部とっても大事です。

でも、私はやっぱり生きるって何か、生命って何か、あなたが今ここで身体と心をもって生きているということ、そのことを伝えていきたい。
それがあっての、あれこれです。

今いろいろと不安に思っている人、違和感が出てきている人、何か身体感覚として現れてきている人にも、ぜひ受けてもらいたいなと思っています。

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