本当の言葉で語る(mayu)

街を出ても「生の顔」を見ることがほぼないので、ごくたまに「生の顔」同士で話せる時なんだか感動してしまうものです。。。久しぶりに人の顔を直で見た!みたいな。

私たちは人とやりとりをしている時、
あ、これは本当の言葉だな
とか、
あ、これは本心じゃ無くて適当に言ってるな
とか、実はかなりわかっているものです。
頭じゃなくて、身体や心が反応しているはずなんですよね。
「うすら寒い」とか言うように。

変なヤツと思われたくない、とか、嫌われたくない、とか、本当は相手に丸投げして責任とってほしい、とか、そういう感じが伝わってくると、まさに心がさむーくなってくる。
だんだん虚しくなってくる。

それってお互いに活性していないし、循環していない。
生きていないやりとりをしていると冷や冷やしてくる。
生命を感じられない場にいると、ぞっとする。。。

「現代人は冷えている」
みたいなことって、そういうことなのかなと思うんです。

生きているものを食べていなかったり、生きているコミュニケーションをとっていなかったり、生きている言葉に触れていなかったり。
冷え切って、免疫抑制状態になって、こわくて外に出られなくなる。

体温を感じるっていうのはお互いに生を感じ合うということで、生命にとっては必須のものなんだと思うんです。街で笑顔を見ることや声をかけ合うことがなくなって、私たちは生命を感じることが本当に少なくなってしまいました。

自分だけが生きようとすることは残念ながら無理です。

今できることは本当の言葉を話すことだなと思います。
けっこう勇気と修行が必要です。

人は基本的に変わることに抵抗があります。それは状態を維持する機能が常に働いているからです。
変わらないためにものすごいエネルギーを使います。
いきなり自分のいる文脈と全然違うものが来た時に、「トンデモ!」「アヤシイ!」みたいな言葉で突き放すこともあるでしょう。

それは、仕方がないことです。

逆にもし変化を望むならば、忍耐強くその想いを持ち続け、軌道修正しながら徐々に進んでいくしかありません。自分の意志以外にもたくさんの布石が勝手に打たれ、道になっていきます。

いずれにせよ、人が今いる地点から違う世界の扉を開けて進んでいくまでにはある程度時間がかかります。身体や心が癒えていくのと同じです。

例えば、家族や大事な人に思い切って大事なことを伝えても、まったく伝わらず、無力感に苛まれることがあると思います。

それでも、本当の言葉で語っていく。自分の道を歩いていく。

生きている人のそばにいる人もきっと生命の熱を取り戻していくのではないかと思うから。


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