「自立」とは何か(mayu)

自分を生きるとか、どんなことがあっても自分だけの道を歩けるとか、毎度のように言っているけれど、わたしは本当に本当に難しいことだと思っていて、ずーっと必死にそれを追いかけてきました。

それが自己啓発用語のようになった時点でただの「お決まりの」標語になってしまう。

自分を生きるとは、
親とか社会とか常識とか、そういう自分にとって深く深く刻み込まれている価値観に対していったん決別すること。
喧嘩するとか、絶交するとか、そういうレベルのことではなくて、本当に「自立」するということなんですよね。

辞書によると

自立:他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること。

従属から離れ、支配を受けずに存在すること。

わたしの感覚では、自立って今の社会では本当に難しい。いや、難しいというより、ほとんどの人はそれを選ばない。選べないともいえるのかもしれません。

そもそも、自分を支配しているものがどれだけ深く刻み込まれているかをなかなか自覚できないし、大きな動きを起こしていくには何かきっかけが必要になるでしょう。

それで、わたしの考える自立は、
自分の身体と心を自分のもとに取り戻す
ということなのかなぁと思っています。

悲しいなら悲しい。
苦しいなら苦しい。
痛いなら痛い。
つらいならつらい。

楽しいなら楽しい。
うれしいならうれしい。
やりたいならやりたい。
やりたくないならやりたくない。

そういうことをひとつ、ひとつ、他の何者でもないわたしという身体と心と魂で経験していく他にないのだと思っています。
誰にも決して明け渡してはならない。
その修行を続けていくこと以外にないのではないかと思います。


わたしには、「正解」を知っている人間として教えるようなことはできませんが、
あなたの声をきき、
この身体と心で触れたもの、感じたもの、腑に落ちたことをお伝えすることはできます。

以前、何度か、カウンセラーをやっていると言ったら「きいているだけで仕事になるなんていいよな」「心理学なんて信用できない」と言われたことがあります。

その頃は、必死でたくさんのことを飲み込もうとしていた時期なので、心の中で大きく抵抗していましたが、今はその言葉も理解できるなぁと思ったりします。

ただ、はっきりと思うことがあります。
きくことは、誰にでもできることではありません。というか、おそらくほとんどの人にはできません。
わたしも、10年前に生命をかけてきくことを探究している心の師匠に出会って、人生ひっくり返るほど衝撃を受けて、実際に人生いろいろ変わりましたが、
その師匠も、自分がきけているとは思っていないとおっしゃっていました。

終わりも、完成も、修得もない道ですが、きくということが、どれだけ人の救いになるかということを教えてくれたのはその師匠です。

東京に来る直前に師匠に会いに行って、いったんお別れをしました。

東京に来て、何度かつらくてつらくてどうしようもない時に会いに行こうかと思いました。つい、最近もありました。

でも、わたしは次にお会いできるならば、一人前になった姿でお会いしたいと思い、踏みとどまっています。
師匠はいつも「まゆちゃんならばできる」と言ってくれました。
わたしのことを本当に信じてくれた、たったひとりの「大人」です。

だから、わたしは師匠から自立することを選びました。

師匠の存在、佇まいにずっと救われてきたからこそ、わたしもわたしの道を自分の足で歩いていこうと思うのです。

「自立」とは、わたしがわたしである自由があり、あなたもみんなもその自由があるということを知ることなのかもしれません。
それぞれの声をきき合い、ハーモニーが奏でられる世界。

その世界の中では、きっと人々は自分の恐怖や正当化のために人を陥れたり、自分がいる不自由さの世界に他者を引き摺り下ろしたり、暴力で人を支配したり、されたりすることはないのではないかなと思うのです。

その世界を作るのは、そう心から願い、動いていく人々です。

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