形や意味を超えて(mayu)

波長が合う、馬が合う、気が合う
というのはおそらく誰でも理解できる感覚だと思うのですが、これは必ずしも言葉で表現できたり、意識としてのぼってくるとは限りません。
ただ、感覚としては確実に存在していて、直接会っていなくても、ブログや写真、メールなどでも実は言葉の内容以上にそういう感覚でやりとりをしているものです。

私たちは、形や意味で世界を認識していると思っています。
だから、こうやってブログを書いていると、どんな内容や表現で伝えるか、どう役に立てるか、どんな価値を提供できるか、ということを考えるでしょう。
しかし、(もちろんそれらも重要ですが)「それ以前の感触」というものがまず届いているはずだと思うのです。
むしろ、それによって、受け取る言葉や情報に対する印象が大きく変わる。

「大丈夫です」と書いていて、もしその書いた人が本当には「大丈夫」だと思っていないのならば、そのアンビバレントさが伝わって、なんだか気持ち悪い感触があるはず。
その感触こそが、私たちが生きていくうえでとても大事なものなのです。



私は最近、例えば飲食店に入って席に座ったけれど、どうにもみぞおちのあたりがぐーっと締め付けられてとても気持ちよく食べられる状態じゃない!という事態になることがたまにあります。
違うぞ!と身体が訴えるのです。
そういう時は、気付いたらなるべく早い段階で「すみません、、、!」と丁重に去るようにしています。

いや、前からちょこちょこあったんですが、「せっかくきたんだから」とか「お店の人に申し訳ない」とかそういうことを優先して、我慢していました。
当然、満足したことはありません。。。
そういう時って本当に嫌な経験として残ってしまって、挙げ句の果てには「あの店こんなに嫌だった!」というふうに言い出す。

でも、冷静になると、これって本当にお店が悪かったのかな?と思うのです。
私が、自分に合わないと気づいていたのに、我慢したからそうなった。

身体や心の声というのはとても正直です。
そして、危険を教えてくれる、とても優れたセンサーです。
逆に、波長が合うものはやはり私たちをサポートしてくれるものなのです。

そのセンサーに気付き、精度を上げるのはけっこう修行が必要なので、私もまだまだ甘い時がありますが、、、

形や意味を超えたところで、私たちは世界と常に交信しつながっているのだとしたら、そのセンサーを鍛えていくことはすごく重要だし、
何より、自分に正直であることが結局世界といい循環を起こす唯一の方法なのかもしれないと思います。


写真は大好きな目黒「バルピパル」のダルバート。
ダルを口に入れた時、毎回感動する・・・!

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