それがあんたの顔やよ。ポートレイトを描く理由。 (正敏)

どうしてポートレイトを描くのか。

昨日、ポートレイトを描くことについて短いツイートをしたんだけど、今朝、そのことについて、僕にとって重要な示唆のようなものがやってきた。

放ったものが返ってくる、引き寄せの法則そのままだなと思った。

「加工」が好きじゃないんよ。

僕はネットで見かける顔の写真の多くに加工が施されていることにものすごく違和感がある。

加工の技術を作った人はすごいし、そういうアプリがあることで自分の顔を好きになれる人がいるならいいと思う。

だけど、僕個人としては加工された顔写真を見ると感覚が崩されるような、なんとも言えない感じになってしまう。怖いんだよね、なんか。知覚が乱されるような、身体が冷たくなるような感じになる。

子供の頃から人の顔の絵を描いてばかりいたし、人並み以上には人の顔を長く眺めて「似顔絵」というものを描いてきた。

そのことは僕をして人の顔の自然なバランスに対するコダワリを生み出したんだと思う。

これだけ加工が当たり前になった時代に生きている以上、そこにいちいち違和感を覚えない方がスムーズだと思う。

それが適応なのかもしれない。

だけど、適応はしてもしなくてもよい。

僕はそこに関しては全く適応したくない。

だからポートレイトを描くんだと思った。

僕個人として、人の写真を眺めて、そこにある光や輝きを感じ取って絵にする喜びはある。

それを超えて、ポートレイトを描く意味があるんだと気づいた。

みんな小さな嘘をついている。

加工された自分の顔写真をアイコンやバナーや投稿に使っている。

それを自分の目で見ている。

それに反応してくれた知人の投稿を読み、返事を返している。

「これは私じゃない」という、意識に上ってこない感覚があるんじゃないか?

僕は、自分の写真を一度だけ遊びで加工アプリで加工したことがある。

その顔を投稿しようとは全く思えなかった。

今ここにいる僕より大きくキラキラした目、通った鼻筋、プラスチックみたいな肌。

「これは俺じゃない」から、投稿する意味がない。

僕は嘘つきだし、人をたくさん傷つけてきたことがあるし、全然正直じゃない面が山ほどある。

でも自分の顔に嘘をつきたくないというところにコダワリがあるらしい。

僕は似顔絵師と名乗っていた時も、人の特徴を誇張する絵は描けなかった。

それも僕にとっては嘘になったし、そんな能力もなかった。

だから、ポートレイトという場所にようやく到達した僕は、加工の海に溺れた人、加工じゃないんだよな、そう感じている人に、本当にあんた綺麗やよ、格好いいよ、だってこんなに美しいポートレイトを俺と一緒に生み出してくれたやん、それがあんたの顔やよ、あんたそのものやよ、そう言いたい。

俺はポートレイトに誇りを持ってる。

インク A5
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