頭と心が一致した。 (正敏)

どんどん寝るのが早くなり、どんどん起きるのが早くなる日々。

夢を見た。ここのところ毎日夢を見るのが楽しみで。決して「楽しい」「面白い」とは限らないのだけど、夢から学ぶ事が多くて、完全に実験装置に入って色々学べるゲームみたいな感覚になっている。

今日の夢の内容はあまりにも気持ち悪いので書かないけど(笑)、僕にとって何度も夢に出てくる実家という舞台が何なのかがわかってきた。

というのも、何度も書いているけど、朝起きて白湯を飲んだらモーニングページを書くのが日課になっているので、ノートに言葉を流しているうちに夢分析みたいにもなるから。

僕…というか今日は一人称俺でいこう。俺にとって「昔の実家」という場所は取り壊されてもうないので物理的に戻れない場所で、夢によく出てくる。頭は「もうない」とわかっていて、心は「まだある」と思っているとしたら、切ない。

頭と心が別の方向を向いているというのが多くの人の悩みの原因の一つになっていると思うので、俺もここを見ていこうと思ったのです。

俺にとって昔の実家というのは、創造の源泉なのだと設定してみる。俺は実家に戻りたいのではなく、創造の源泉に行こうとしているのだ。頭では「いや、もうないよ、実家は」と「わかっている」のだけど、それはちっともわかってなかいと言える。何を? 心の求めを。

頭は、特に俺の頭はとにかく間違いだらけなので、いっつもよくわからないところをふらふらとほっつき歩いている。そのくせ心に指図する。俺は正しいとばかりに上から押さえつける。心は物静かで主張しないが実はずっと一点だけを見つめ、求めている。間違わない。

創造。

俺にとってあの空間には全てがあったし、騒々しいが静けさそのものでもあった。騒々と創造は同じ音なのね。あの空間が「正しい」とか「間違っている」ではなく、今世の俺の感受性の原点ではある。俺の心はただソレを求めている。

別に実際にあの建物があった場所に行かなくてもよくて、ただ心がそこにあるということ。そう、心は「あそこに行きたい」でもなく、「すでにいる」ということ。願望は叶えるものではなく、すでに叶っていると言われることとつながっているのかもしれない。皆さんもきっと同じ。

心がどこにいるか

心がじっと見ているものは何か

それを感じてみて。多分それだけだよ、本当に求めているものは。

そして、俺が否定してきた「過去にしばれている俺」はいなくて、ただあの創造的で静けさのある空間に心がずっといたということ。それを縛られている・こだわっていると捉えてきたのは俺の頭であって、心ではない。心はちょこんとあの空間にニコニコして座っていただけだった。

創造することへの否定的な気持ちを手放すことができたのが今日の収穫。

創造を生きることを恥ずかしいとさえ思い、自分や大切な人たちを傷つけてきたことが恥ずかしい。

アーティストという言葉を自分のものとして受け入れて、自分の創造を生きるために、自分の中にある嘘を見つめていこうと思った朝。

<正敏の仕事>

星の舞台の主人公への手紙×ブルーポートレイト

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