すべきことから距離を取り、幸せになるために。 (正敏)

恥ずかしいことも必要だったら晒していくことにしたよ。

俺は高校生の時全然モテなかったけど、それでも俺に好意を持ってくれている女子何人かにすごく冷たくした記憶がある。

明らかに軽めの好意を持ってますよアピールをされたらすごく拒絶した記憶がある。ちなみに俺は彼女たちのことを嫌いじゃなかったけど好きでもなかった。

理由は、そばにいる男友達に俺が嬉しそうにしているのを見られたくなかったから。この時点で本当は「嬉しい」のだけど、それを見せないために彼女たちを傷つけてしまった。ひどい時はそばに誰もいないのに冷たくした。こうなってくると俺に好意を持ってくれている本人にすら「嬉しい」と思われたくないがために傷つけているということになる。

どちらも大変歪んでいて、ごめんなさい、と言う気持ち。もちろんもうそれから25年くらい経っているんだからいつまで言ってんだという話でもあるのだけど、カルマというのは時間を超えているので(前世とかは僕は概念でしかわかりませんが)、しがみついている限りずっとあるんだと思う。

これは俺の恥部です。

昨日お風呂に入っていたら、「俺は無駄なことをしたいと言う思いに囚われているんじゃないか」と思ったのですよね。

で、無駄なことをしたいというのは、「無駄じゃないことは何か」という概念がちゃんとあるから生まれる欲求で、ってことは根元の欲求ではなくておそらく社会とか大人とかに対するアンチテーゼとして持つようになったんだろうなと思うのです。

10代~20代の頃に今思えばよくわかんない音楽活動をやっていたりとか、なんでわざわざそんなことを、と言われそうな方法で仕事を作ろうとしたりとか(これは今もだけど)。でも、それって「よーし、無駄なことをするぞ!」と思ってるわけではなくて、もっと根っこの方でそうなっているということで。つまり感性が「効率性」という基準を全然採用していないということ。

例えばみうらじゅんさんとかはそれを突き抜けてむしろ価値にまで転化しているんだろうなぁと思ったのだけど、そもそも松本人志さんとか、ジミヘンとか、松本大洋さんだって、もともとのもともとは無駄から発生しているんですよ、きっと。「まともな大人」が見たらなんじゃそりゃ、というようなものを社会に叩きつけるのがロックだとしたら、そこからちゃんと価値として社会を運営していく一部にしてしまったのが天才と言われるような人たちで、そこに多くの人は惹かれるのだと思う。

話が逸れたけど、とにかく「無駄なことをしたい」というのは実は後から言葉で解釈したことで、もうちょっと噛み砕くと「すべきことをしたくない」っていうこと。

俺は「すべき!」とされていることこそしたくないんだよ!という気持ちになる。

今このブログを読んでくれている人にとっても「ああ、すべきじゃないことしてるなぁ」ってなってるかもしれない(笑)

(笑)ってつけたけど「すべきじゃないこと」としてこの社会に俺のブログが存在してる方が嬉しい。すべきことなんてしょうもないことばっかりだと思うから、すべきじゃないことをいかにやれるか、そして「幸せになれるか」が大事だと思う。

すべきことから距離を取り、いかに自分が幸せになることに身を浸せるか。

そのために必要なのは心身の感覚を健やかに、鋭敏にすること。そして本当の仲間と出会い、集まることだと思う。

朝、モーニングページを書いてて「俺は幸せになりたい!」って書いたら全身がビリビリしたよ。すごかった。こんなに俺は幸せになりたいのに「俺は不幸になりたい」と思って来たのか、と。世界に対してごめんなさいと思った。これで高校時代の恥部にも謝れたわ。ごめん。

俺は恥部を晒して幸せになるし、このまだ小さいけど確かにある光を広げて、一人でも多くに幸せを届けられるように頑張るよ!

今日も一日をどうぞ楽しんでくださいませ。

正敏

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