ホロスコープというカルマは、光という人を見るために。 (正敏)

今、まゆと話していて。

先日、絵を描くことから遠ざかっていたけれど。というブログを書きました。ある方のポートレイトと「星の舞台(ホロスコープ)の主人公への手紙」を書かせていただいただいたんです。

それで、僕は人のホロスコープを見た後、その人のホロスコープをほとんど忘れてしまうんです。不思議なくらい忘れてしまう。太陽星座がなんだったかも思い出せないことが多い。だけど、その人の「感じ」は僕の中により強く残っていて、ホロスコープを見せていただく前よりもその人と近づけた気がするんです。

このことをまゆに伝えるためにとっさに出てきた例え話があって、僕はホロスコープってザルみたいなものだと思っています。

その人の内側から放たれる魂の光が向こうから射してくる。それを僕がホロスコープというザルの網目を通して、まあるい模様のようなものが地面に落ちるイメージです。

つまり、ホロスコープはその人が持つカルマかもしれません。

全ての人の内側には無限の光があり、それが心・身体として具象化しているとしたら、人が生まれ落ちた瞬間の天体もまたそれぞれにホロスコープいうカルマを持つ光の具象化であり、全ては光ということになる。

ただ、「全ては光」と言ってもこの世界の多様性は楽しめないので、「な〜にいってやがんでぃてやんでい!!」的な人もいるし、関西弁で言えば「な〜にをアホなこと抜かしとんねんほんまに」的なガヤも入ります。それでいいんだと思うんです。

大阪の南河内という土地に生まれてどうにもハマりきれず、公務員になってもハマりきれず、非常に物質的なものを扱う自営業を営んでもうまくいかず、ホロスコープやアーユルヴェーダを少し扱いつつもそこに収まりきれない僕は、しかしだからこそここまで生きてこれたのであって。

話が逸れましたが、僕が見たいのはホロスコープではなくてその人だったんです。これは自分的には大きな発見でした。多くの占星術師もそうなのかもしれません。だからこそホロスコープを学び、研究するのでしょう。僕ももちろんホロスコープを学んでいます。が、僕は不真面目なので、ホロスコープを通してるフリをして、「なんとかして直接光を見てやろう」としている気がします。カンニング的な。

僕は不真面目だったということを思い出しました。ホロスコープを通して、あなたの光を見るけれど、本当に見たいのはあなたそのもの。あなたという完璧な光。僕もあなたもカルマを越えようぜ。ホロスコープなんか手放そうぜ。

そういうことなんです。

正敏

<正敏の仕事>

星の舞台の主人公への手紙×ブルーポートレイト

ポートレイト・イラストレーション

<インスタグラム>

@iruproject

<ニュースレター>

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