救う(掬う)ことで逃げたこと。自分と出会い続けること。 (正敏)

いつから僕は「僕は○○である」ことにしたんだろう。

○○にはいわゆる性格や考え方の傾向、思想、セクシャリティ、キャラなどを自由に入れてもらうといいと思います。

昨夜パッと目が覚めて、眠れそうにないからトイレに行くときに時計を見たら0:00だった。それで、また寝室に戻って少し瞑想をした。

子供の頃、僕はある人たちを見下していたことを思い出した。その醜さは、今も僕の中にある。人を見下す自分をじっと見てみた。

子供の頃はそれに向き合う強さはなく、僕は○○を利用し、醜さをないことにした。○○は何だってよかったのだと思う。僕の弱さのカタチに合いさえすれば。

最初の出会いは純粋だったはずで、「うわ!こんなものがあるんだ」「この概念は僕のことを言ってくれている気がする」と思ったのかもしれない。僕はそれによって確かに救われた。

救いは掬いとなり、僕は自分を救うと同時に掬い撥を使って巧妙に僕を分断した。

救うべきではないと感じた部分=醜さを見捨てた。

あまりドロドロとした話を吐き出したくないのでこれ以上具体的には書きませんが、○○にみなさんそれぞれの何かを当てはめてもらえたら、参考になる部分があるかもしれないと思って書きました。

救いは掬い、というのは自然と出てきた言葉だったけど、多分僕の場合かなり当たっていると思います。

「僕は○○である」というアイデンティティを持つために、最初は純粋だった○○との出会いを、僕は利用しました。このカタチは、それこそ形を変えて何度も何度も僕の人生に登場します。

自分の醜さと直面するのを避けるために何かを利用する、という性向。

この性向そのものを手放すことが世界と出会うことにつながるし、僕が逃げてきた僕自身との出会いにつながるとわかってきました。

自分と出会い続けること。

ずっと置き去りにしてきた自分と直面することは怖いことですが、全ての人にとって大切なことだと思います。

僕は一歩一歩ですが、進めていこうと思います。

*新たにセッション、裸で響き合うを始めました。説明ページの文章を書いたのは9月30日でしたが、今日のこの内容とも繋がっていたんだな、時を超えて、と思いました。いまの僕にとって一番シンプルで力強いセッションにしました。自分と出会いたい方、ともにそれぞれの今を探求したい方、お声掛けください。

<正敏のしごと>

裸で響き合うセッション

星の舞台の主人公への手紙×ブルーポートレイト

ポートレイト・イラストレーション

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