「したい」は誰かへの贈り物かもしれない。

記憶を探ることを「思い出す」と言います。

思いを出す。どこから「出す」のでしょう? 思いはどこから出てくるのでしょう?

言葉というのは、徐々に徐々に本質から離れてきているとはいえ、やはり良くできています。

あまりにも当たり前のように使ってきた「思い出す」という言葉。当たり前になっているということは、この言葉と実感にあまり隔たりがないということ。

今日はそういうことをマオシャン五行をしながら思い浮かべていました。

因みに「思い浮かべる」もまた、実感が伴っていますね。「浮かべる」っていう感じがすごくする。

そうしたら、

「したい」は誰かへの贈り物かもしれない

という思いが湧いてきました。「湧く」、という感じでした。

僕は心から「誰かのために」生きることができずにきたし、今でもまだ抵抗があったりします。それに、まずは自分のために、自分を幸せにするために生きるのが自然なことだ、という風に思っています。

その上で、誰かのためになるということは双方にとってものすごく幸せなことだと思っています。そこには自然の循環があり、というか、自然の循環の中でしか本当に人のためになることはできないはずです。

だから、僕が心から「したい」と思ったことというのは、誰かが人のためになったことへの「お返し」として僕の心から引き出された欲求かもしれないのです。それってすごくないですか? こんなことを思ったことは多分今までなかったと思います。

そう思うとすごく楽になりました。僕たちは個性や自分の考えを強く求められながら人のために犠牲を払うこともまた良しとされるメッセージを受けてきました。

この矛盾はしかし、社会という「自分自身の反映」によって行われてきたことで、全ては自分の中にある矛盾の現れです。

そう考えると、自分の中にある「したい」が自分の欲求であると同時に誰かの欲求でもあるのだということになります。

今、自分の感覚のギリギリ先端に立ちながら書いています。こういう言葉の使い方をしていきたい。

ついさっき思ったことを「思い出し」て書いているわけですが、それは記憶を探るというよりは、今ここに創出している感じ。

そっか、「出す」というのは今ここに「おら!」と出すことなんだ。

提出する、提示する、創出する、そういう感じ。

こういう言葉を使っていきたい。

こういう言葉でセッションしていきたいし、IRU Projectの新しい企画はこういう風にして届けていきたいと思います。

後少しです、お待ちくださいね!

お茶のお店で見かけた素敵な作品。時代を超えて響いてくるものに触れる幸せ。

<正敏のしごと>

裸で響き合うセッション

星の舞台の主人公への手紙×ブルーポートレイト

ポートレイト・イラストレーション

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