オクラはオクラとして生きる

久しぶりのblog更新です。
やっと、やっと、セッションを大幅にリニューアルして、リリースすることができました。

自分の、このいのちで、やるべきことをやって生きていきたいと、ずっと思っていました。
同時に、なぜできないのだろう。何が阻んでいるのだろう。
そんなこととずっと向き合ってきた気がします。

オクラはトマトにはなれない。
オクラはオクラとして生きる。それがオクラのいのち。

日常的に正敏との会話でよく口にしていたフレーズですが、
ある意味でこれがわたしが畑で過ごしていた時間に学んだことすべてのことで、
その後学んだ知恵や教えはどれもこのことを言っているといっても過言ではなく、
生命としての真実なんだなと思います。

長くなりましたが、ゆっくり読んでいただけるとうれしいです。

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アーユルヴェーダを学んで一番よかったと思うのは、自分がこの身体や心の性質で生まれてきたことを心から認められたことです。

でも、それも本当に最近のこと。

わたしはかつて心の専門家としてたくさんの人に向き合ってきました。
しかし、どこかで自分なんかが人を助けることなどできないと思ってきたのです。

自分の性質を知らなかったし、それらは自分の悪いところだと思ってきたからだなと今はわかります。
自分を否定することで、自分の中にあるたくさんの力を失い、自分や周囲を疑い、本当にやるべきことから目を背けていました。

でも、わたしが持って生まれた性質を知れば知るほど、人をサポートしたり、何かを伝えていくことはわたしにはとても合っている仕事なんだとわかります。
自分がどうすべきかは自分が必ず知っている。

そういうのってよくきくことのようですが、本当にそうなんだなぁと今は思います。


子供の頃から生きることに関心があったし、高校生の時に心理学科に行こうと決めたことから、心理士になり、研究者にもなったことはごく自然なことだったのでしょう。

また、わたしの育った環境や起こった出来事や経験、それにともなうわたしのもつ感受性などからしても、なるべくしてなったとしか言いようがないな、とも思うのです。

わたしにとって自然なことだから、(多少の逡巡はあったにせよ)先のことをあれこれ考えて悩んだり迷ったりした記憶もないし、決断する!というよりもどうしてもそうなってしまうというように進んできたんだと思います。

7年前に仕事をやめたあともより本質的な探求を続けていたのもそういうことだったのかと。

(仕事をやめてからどんどん自分がわからなくなり、自分を責めて悩み苦しんだ時間も長くありましたが、それもすべて必要なことだったのだと今はわかります)

ならば、こんなに自分を苦しめ、否定し、自信を失わせたものは何なのだろう、苦しみながら何かを必死に追い求めてきたのはなぜなのだろうという問いが生まれます。

私たちは「こんな人がすてき」「できる人とはこういう人だ」「大人として社会人としてこうあるべきだ」というメッセージを幼い頃からきき、受け入れ、本当に腹の底の底まで飲みこんで信じてきました。

きっと、そう教えてくれた人たちも同じようにそういうメッセージを飲み込んできたのだと思います。

アーユルヴェーダだけでなく、さまざまな古くからある知識を学びましたが、どれも共通して「その人が本来どんな性質を持っているのか」が起点になっていることに衝撃を受け、
同時に、いったいなぜ私たちは自分の性質を知らないままに生きることになっているのだろうという素朴な疑問がわきました。
(まして、わたしは曲がりなりにも心理学の専門家だったのに、わたし自身のことがまるで、本当にまるでわからずに悩み苦しんできたのですから!)


何度かお話ししていますが、わたしは20代なかばで「一生治らない難病」にかかり、それはそれはどえらい目にあっているのですが。

それまでにも、それからも、たくさんのたくさんのプロセスを経て、今があって。

わたしはこの経験が必ず多くの人の助けになるであろうとずっと思ってはいたのですが、どうしても人に伝えられる言葉にならず。

この数年は
「なぜわたしはあんなひどい病気になり、そしてよくなったのだろうか?」

という疑問にずっと向き合う時間でした。

アーユルヴェーダだけでなく、身体と心のこと、スピリチュアルなこと、エソテリックなこと、社会のこと、、、
とにかくいろいろなことに手を広げ、学んでいきました。

そのような最中で社会の大きな変化を東京という街で経験したこともとても大きな出来事だったと思います。


これはアーユルヴェーダの大事な教えでもあるし、わたし自身の経験的事実でもあるのですが、
自分の本来の性質を知り、それぞれのいのちを生きることがやはり全方位的にとても大事なことなんだと
そんなきわめてシンプルなところに行き着きます。

本当はみんなわかっていると思うんです。
違うことをしているとつらいから。しんどいから。
他の誰かのようになりたくたって、どうやったってなれないし。

畑で過ごした時間でもずっと同じことを学んでいました。

オクラはトマトにはなれない。
オクラはオクラとして生きる。それがオクラのいのち。

高く高く伸びて、綺麗な花を咲かせ、実のほとんどは人間とかに食べられて、でも最後の方に残った実が枯れて中にいっぱい種を作って、そのまま落ちたり人間が大事に保管したりして、翌年またその種から新しい芽が出て。

そんなふうに私たちもそれぞれにいのちをもって生まれてきたんですよね。

「こうあるべき、こう振る舞うべき」

「多様性を大事にしよう、あるがままでいいんだよ」

とアンビバレントなメッセージが飛び交う世界で、

「どこかのメッセージ」ではなく、「もうすでに知っていること」つまり「いのちの声」に耳を傾けていくことからもう一度始められないかなと思うのです。

「自分を好きになろう」とスローガンを掲げて好きになろうとしても同じです。好きじゃないから好きになろうとするんです。

そうじゃなくて、まず自分を感じ、知ることから。
そのためにはまず光を覆い隠す闇の存在を知り、しっかり自分の心身を整えていくことで闇が少しずつ晴れていって、
そこでやっとわたしが見えるのです。

好きとか受け入れられないとか、そういう判断の下されていない、ただわたしがそこにいるのです。

どうしようもなく、ただいる。

だからもう自分を責めなくていい。誰のせいにもしなくていい。
わたしが、あなたが、自分のいのちを今この瞬間から生きていけばいい。

そのいのちといのちがつながって循環していくのが世界ではないかとわたしは考えています。


で、わたしはやはり、

名前としてはカウンセラーなのかセラピストなのかなんなのかはわからないけれど、

人が生きるということについて学び、向き合い、サポートしていくのが、少なくとも今のところはどうやら使命のようだなとやっと腑に落ちたので。

使命ということはこのいのちでやるべきことだし、自分が最も輝き、至福を感じる道だし、幸福を拡大して他者にもたらす活動なので、

自信がないとか、自分なんかが、というのはもう終わりにして
いのちの声を大事に生きることにしました。

わたしも本当に一からひとつひとつやっています。
行っては戻り、また一歩進み。
しかし、それが大事なのです。
苦しくても、このいのちの声を無視しないこと。

変わること、進むことは誰だってこわい。
それはたとえ幸せや喜びに向かう方向であったとしてもです。


いつからでも、どこからでも、

共にはじめませんか。

めちゃくちゃ長くなってしまいましたが、大幅にリニューアルしてセッションをはじめます。

こちらからご覧ください。

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